2016年大学入試センター試験。国語(本試験)の出典をまとめました。
現代文は評論と小説、古典は古文と漢文をそれぞれ掲載しています。
試験対策や出題分析・問題作成に生かしてください。
大学入試センター試験・国語の出典(最新)・評論 一覧、大学入試センター試験・国語の出典(最新)・小説 一覧では現代文の評論と小説の出典を本試験・追試験とも過去27年分にわたってまとめています。単行本や雑誌等に収録されたものについても、その所収した刊行物のリンク集を作成していますので、ご覧ください。
第1問 現代文・評論 土井隆義『キャラ化する/される子どもたち』
2009年に発表された社会学者(筑波大学人文社会系教授)・土井隆義(男性、1960年~)の『キャラ化する/される子どもたち』の一部から出題されました。
第3問 現代文・小説 佐多稲子『三等車』
1954年に発表された小説家・佐多稲子(女性、1904~1998年)の『三等車』の全文から出題されました。
第3問 古文 『今昔物語集』
平安時代の説話、『今昔物語集』の巻16(本朝 付仏法)第32話 隠形男依六角堂観音助顕身語 第卅二より出題されました。
巻16第32話 隠形男依六角堂観音助顕身語 第卅二
今昔、何れの程の事とは知らず。京に生侍の年若き有けり。常に六角堂に参て懃ろに仕けり。
而る間、十二月の晦日、夜に入て、只独り知たる所に行て、夜深更(ふけ)て家に返けるに、一条堀川の端を渡て、西へ行けるに、西より多の人、火を燃して向ひ来ければ、「止事無き人などの御すにこそ有ぬれ」と思て、男、橋の下に怱ぎ下て、立隠れたりければ、此の火燃したる者共、橋の上を東様に過けるを、此の侍、和ら見上ければ、早う、人には非ずして、怖げなる鬼共の行く也けり。或は角生たるも有り。或は手数(あま)た有るも有り。或は足一つして踊るも有り。
男、此れを見るに、行たる心地も為で、物も思えで立てるに、此の鬼共、皆過ぎ持行て、後に行く一つの鬼の云く、「此に人影の為つるは」と。亦、鬼有て云く、「然る者見えぬ。彼れ、速に搦めて将来れ」と。男、「今は限り也けり」と思て有る程に、一人の鬼、走り来て、男を引へて将て上ぬ。鬼共の云く、「此の男、重き咎有るべき者にも非ず。免してよ」と云て、鬼四五人許して、男に唾を吐き懸つつ皆過ぬ。
其の後、男、殺されず成ぬる事を喜て、心地違ひ頭ら痛けれども、念じて、「疾く家に行て、有つる様をも妻に語らむ」と思て、怱ぎ行て、家に入たるに、妻も子も皆男を見れども、物も云ひ懸けず、亦、男、物を云ひ懸れども、妻子、答へも為ず。然れば、男、「奇異」と思ひて近く。寄たれども、傍に人有れども、有とも思えず。其の時に、男、心得る様、「早う、鬼共の我に唾を吐き懸つるに依て、我が身の隠れにけるにこそ有けれ」と思ふに、悲き事限無し。
我は人見る事、本の如し。亦、人の云ふ事をも障(さはり)無く聞く。人は我が形をも見えず。音をも聞かず。然れば、人の置たる物を取て食へども、人、此れを知らず。此様(かやう)にて、夜も曙ぬれば、妻子は我を、「夜前、人に殺されにけるなめり」と云て歎き合たる事、限無し。
然て、日来を経るに為方無し。然れば、男、六角堂に参り籠て、「観音我れを助け給へ。年来、憑みを懸奉て参り候ひつる験には、本の如く我が身を顕し給へ」と祈念して、籠たる人の食ふ物や金穀米などを取り食て有れども、傍なる人、知る事無し。
此て二七日許にも成ぬるに、夜る寝たるに、暁方の夢に、御帳の辺より貴気なる僧出て、男の傍に立て、告て宣はく、「汝ぢ、速に朝此より罷出むに、初て会らむ者の云はむ事に随ふべし」と。此く見る程に、夢覚ぬ。
夜明ぬれば、罷り出るに、門許に、牛飼童の糸怖し気なる大なる牛を引て会たり。男を見て云く、「去来(いざ)、彼の主、我が共に」と。男、此れを聞くに、「我が身は顕れにけり」と思ふに、喜(うれし)くて喜び乍ら、夢を憑て、童の共に行くに、西様に十町許行て、大なる棟門有り。門閉て開かねば、牛飼、牛をば門に結て、扉の迫(はざま)の人通ふべくも無きより入るとて、男を引て、「汝も共に入れ」と云へば、男、「何でか此の迫よりは入らむ」と云ふを、童、「只、入れ」とて、男の手を引入るれば、男も共に入ぬ。
見れば、家の内大にて、人極て多かり。童、男を具して、板敷に上て、内へ只入りに入るに、「何かに」と云ふ人、敢て無し。遥に奥の方に入て見れば、姫君、病に悩み煩ひて臥たり。跡枕に女房達、居並て此れを繚(あつか)ふ。童、其(そこ)に男を将行て、小き槌を取せて、此の煩ふ姫君の傍に居へて、頭を打せ腰を打ぬ。其の時に、姫君、頭を立て病に迷ふ事限無し。然れば、父母、「此の病、今は限なめり」と云て、泣合たり。
見れば、誦経を行ひ、亦□□と云ふ止事無き験者を請じに遣めり。暫許有て、験者来たり。病者の傍に近く居て、心経を読て祈るに、此の男、貴き事限無し。身の気竪(よだち)て、そぞろ寒き様に思ゆ。
而る間、此の牛飼の童、此の僧を打見るままに、只逃に逃て外様に去ぬ。僧は不動の火界の呪を読て病者を加持する時に、男の着物に火付ぬ。只、焼に焼くれば、男、音を挙て叫ぶ。然れば、男、真顕(あらは)に成ぬ。
其の時に、家の人、姫君の父母より始めて女房共見れば、糸賤気(あやしげ)なる男、病者の傍に居たり。奇異(あさまし)くて、先づ男を捕へて引出しつ。「此れは何なる事ぞ」と問へば、男、事の有様を有のままに初より語る。人、皆此れを聞て、「希有也」と思ふ。
而る間、男、顕れぬれば、病者、掻巾(かきのご)ふ様に𡀍(口へんに愈)ぬ。然れば、一家喜び合へる事限無し。其の時に験者の云く、「此の男、咎有るべき者にも非ぬなめり。六角堂の観音の利益を蒙れる者也。然れば、速に免さるべし」と云ければ、追逃してけり。然れば、男、家に行て、事の有様を語ければ、妻、奇異と思ひ乍ら喜びけり。
彼の牛飼は神の眷属にてなむ有けり。人の語ひに依て、此の姫君に付き悩しける也けり。其の後、姫君も男も身に病ひ無かりけり。火界の呪の霊験の致す所也。
観音の御利益には、此る希有の事なむ有けるとなむ、語り伝へたるとや。
出典:http://yatanavi.org/
第4問 漢文 盧文弨『抱経堂文集』
清代中期の学者、盧文弨の『抱経堂文集』巻第二十五より「張荷宇大任 夢母圖記」の一部から出題されました。
張荷宇大任夢母圖記庚午
始余未識荷宇時有客持一卷文示余卽荷宇自敘其
夢母事其言悲悄乎不忍卒讀也異日有介友人來余
門請受業者識其姓名卽曩之夢母者也因又見所爲
圖焉自當世公卿大夫下至韋布之士工於言者咸嘉
其至性冥感相與詠歌其事荷宇悉取而綴於圖之後
余亦五歲失母此情人所同也感荷宇之事而因爲記
之荷宇生十月而喪其母及有知卽時時念母不置彌
久彌篤哀其身不能一日事乎母也哀母之言語動作
亦未能識也荷宇香河人嘗南遊而反至乎錢唐夢母
來前夢中卽知其爲母也旣覺乃噭然以哭曰此眞吾
母也母胡爲乎使我至今日乃得見也母又何去我之
速也母其可使我繼此而得見也於是卽夢所見爲之
圖此圖吾不之見也今之圖吾見之則其夢母之境而
巳余因語之曰夫人精誠所感無幽明死生之隔此理
之可信不誣者況子之於親其喘息呼吸相通本無有
閒之者乎人死則形亡形亡則氣散而有不散者在其
精神卽附麗於其子孫之身故先王爲之立廟以聚之
祭祀以事之笑語嗜好以思之於此於彼以求之又非
但此也一出言而不敢忘一跬步而不敢忘故孝子之
事父母終其身非徒終父母之身也今子之母不幸蚤
殁然子在固不可謂亡焉夫自香河以至錢唐三千里
而遙子之母生時固未嘗至其地也而胡爲於此而夢
於此而夢者子之所至親亦至焉然則子之身親之身
也子求所以不死其母者其必有在矣出典:https://www.kanripo.org/
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