社会人15年目で教員に!教師に必要だと気づいた7つの能力

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社会人経験15年から一念発起して教員になり、3年。教育実習などで学校にくる学生、将来教員になりたいという高校生を見ていると、単なる憧れで大丈夫かと心配になります。教員志望を目指して教員免許を取得する人の多くの憧れと現実の教員の像には大きな乖離があるからです。
なんとなく学校の先生にあこがれる学生も多く、自分のような教員にあこがれてくれるのはうれしいのですが、もっと社会やさまざまな職業を見て考え直したほうがいいのではないかと思います。

学校の実際と、やはり必要だと感じた7つの能力についてまとめました。

恐ろしいほど事務作業が多い

d7ba506af4bcdd2d3fbf2dd60ef53eb4_s教材の準備などに充てる時間よりもびっくりするほど事務作業が多く発生します。学校では校務分掌が細かく決められていて、しかも下請けの事務部門はありません。基本的にはどんな細かい仕事もすべて教員がやることになります。事務職員や事務室みたいなものはありますが、金銭に関わるような部分のみです。
学校の納付金の督促のようなことも担当教員以外が行うことはなく、やはり教員の仕事です。
報告書類も多いです。体系化されていなかったり、管理職、教育委員会やPTAをはじめ様々な機関に対するものがバラバラにやってきます。
事務能力が高くなければ教員は務まりません

会議や組織の運営能力が低い

多くの教師が「学校の先生」しか経験したことがなく、特に校長、副校長などは組織や会議の運営能力が低い場合が多々見受けられます。例えば、何か問題が起きると基本的に会議が増えますが、会議が行われることが目的化していることが多いです。だいたいの場合は、ダラダラと情報交換のような、世間話のような話をして時間が過ぎ、決まったことが何なのか明確でなく、会議で決めたことがひっくり返ることもあります。49248a157e3df651a5a148c917104e13_s
学校は、慣習を中心に運営されていて、目標、手順や規則が明確になっていないことが無数にあります。漠然とした学生の憧れを持ち寄られても、困りものなのです。組織や会議運営にも慣れておくべきでしょう。

「中間層」な人物が多い

「東大生は教員にならない」というブログが注目を集めましたが、学校の教員で最も厄介なことは、だいたいが高校生、中学生時代にクラスで2位か3位くらいの成績の人物が集まっているということです。「学校」というものの中で成功した人ばかりで、基本的に下位層の生徒に対しての理解が薄いケースが多いです。こうした「学校」が嫌いとか「学校」が悪だという考え方がそもそもありません。
管理するための、管理を行っている場合が数多く見受けられます。例えば「茶髪」に対して指導するにしても深く考えずに良くないと決めつけて対処している場合があります。
こうした「中間層」教師が結果的に、誰かにとって居心地の悪い環境を作っているのです。「学校」というものを多角的に見る力が求められます。

常に保護者の反応を考える

教師にとっての大きな仕事の一つが保護者への対応です。クレームが直接、来ないようにいろいろな対策を考えると管理職に直接クレームが行くようになります。自分で直接、クレームを受けるようになると、モンスターペアレンツのような保護者に付き合う時間が激増します。
教員にとって必要なテクニックの一つが保護者からのクレームや問い合わせが来ないように学級運営をしたり、授業を行ったりすることです。
最初から自分に自信がないような発言をすると、生徒からも保護者からもやはりクレームは増えます。どんな発言がクレームになるのかよく研究するとよいでしょう。

自分に自信のない教員が多い

大きなお世話かもしれませんが、まわりの教員を見ていると、他の世界でやっていけるのかとか、楽しいのかと不安になることがあります。
確かに、給料も安く、勤務時間も長く、つらい仕事ですが、一方では雇用が安定していて、「先生」と呼ばれるように社会的には一定の信用もある仕事です。待遇面を考えれば、十分に恵まれた環境にあると言えます。
そのせいか、何か問題があったらいつでも辞めてやるくらいの気持ちで自信を持って取り組んでいる教員も少ないです。自信のなさが、管理職や保護者、そして生徒からつけこまれ、プレッシャーを増大させているようなパターンも多く見ます。もっと自信を持ってはねのければよいのにと思うこともあります。
これから「先生」を目指す学生には、黙っていても他から「先生」と呼ばれるような強みを持っていて欲しいと思います。いきなり新卒で教員採用試験に挑戦するのではなく、何か一つを極めてから教員を目指すのでも遅くはありません。

「好かれる」より「取り込む」

9534b6c4a27cc207022ec0c75997ba59_m徒との関係では、いかに信頼関係を作るかは確かに大事です。尊敬される、慕われる教師を目指すのもよいでしょう。
しかし、現実問題は教員に必要なのは生徒に好かれるよりも、生徒を取り込む力です。学校内での様々な活動や事務作業でも生徒を動員できるような信頼関係です。学級運営や部活動の中で、自分に協力的な生徒を組織化していくことです。学校内で最も大きな部活動の顧問になって生徒を掌握できれば、職員間では強い発言力を持ちます。
生徒に尊敬されていても、生徒に動いてもらえなければ全く意味がありません。

「教える」のは2の次

社会人時代にさまざまな研修を体験しましたが、自分自身を含めて学校の先生の授業というのははっきり言ってつまらないです。それも当り前です。学校の先生は自分で生徒を集めている訳ではないからです。d21ba6713f240eb6a65762dfdfcca80f_s
生徒から授業が面白いと言われている教師はだいたい、人柄が慕われているか、課題の出し方や評価の仕方に特徴があったりする場合などです。
学校の教員に必要な能力は教えることではありません。学級や教科ごとのクラスを運営する力です。まずは学習する環境を作ればよいのです。「教える」ことは進化した教材や生徒自身、クラスメイトがやってくれます。このことは教育現場にeラーニングや映像授業などのインターネット活用が進んでくると一層明らかになるでしょう。
時代も環境も着実に変わっています。
もしも、自分に教える能力があるとか、弟や妹に勉強を教えるのが好きだとかそういうことで教師を目指すのならば、考え直した方がよいでしょう。

以上です。2021年からの大学入試改革アクティブラーニングの導入など、文部科学省のレベルでもようやく動きが始まっていますが、通信技術の向上で「学ぶ」ことも変化しています。塾歴社会と言われるように教育制度のひずみも大きくなっています。おそらく、今の学校教育は10年後には原形をとどめないほど変化しているでしょう。何が最善策なのかは分かりませんし、教員にとっては今が地獄なのか、これからが地獄なのかは分かりません。
少なくとも、多人数で黒板にチョークで板書し、教員が指導書に沿って話ををするというスタイルの学校は時代遅れになります。これから教員を目指そうとするならば、これからの教育現場がどう変わるのか、どう変えたいのかを自分なりの認識を持っていてほしいものです。